アストルティア10周年 (1) 出会い~Ver.2まで

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Astoltia Side (DQ10)アストルティア10周年
 
この「アストルティア10周年」の記事では、過去バージョンの振り返りを行う過程で、一部ボスキャラクターの写真などを使用します。一部ストーリーの内容、ボスの名称など、Ver.5範囲までのネタバレとなる可能性がありますので、どうぞご注意ください。
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Ver.1期間の思い出

先行体験版でプレイできるようになった頃、アストルティアはVer.1.5前期の時代でした。この頃はれっきとした後発組Twitterで情報を集めたり、いろんな先輩冒険者さんたちをフォローしたりして、少しずつ交流を広げていきました。その時点では、わたし(ルナクル)は影も形もありませんので、その当時メインで使っていた別のアカウントでの話になります。

最初に誕生したのはエルフつき兄です。その当時、いにしえからのドラクエシリーズを遊んできたわたしは、主役としてはなんとなく男性キャラクターを選ぶことが多かったのですが、おしゃれ要素が多いドラクエ10などでは、個人的には女性キャラクターの方が楽しい!ということに気づいてしまい、現在に至っています。

最初のメインキャラはつき兄でした

最初のメインキャラはつき兄でした

とはいえ、わずか4日後の9月16日には、早くもどわこあかり姉が誕生しています。あかり姉はベータテスト時代に2番目のキャラとして誕生していましたし、まだおしゃれ要素にまでは覚醒していなかったものの、すでにどわこのかわいさには目覚めていましたから、先行体験版に転生するのは必定だったといえるでしょうw

あかり姉は、ちゃっかりベータテスト参加特典(メイジドラキー帽子)を着用w

あかり姉は、ちゃっかりベータテスト参加特典(メイジドラキー帽子)を着用w

9月26日にWindows版が発売となり、晴れて体験版プレイヤーから正式な冒険者になるのですが、その3日前急病で倒れました。病名はなんとなく伏せますが、命にかかわることはないもののとんでもなく痛い病気です。お察しください

結局、年末に手術入院することが決まるのですが、退院後1ヶ月くらいまでは、鎮痛剤で痛みを止めながらアストルティアを冒険していたわけです。だからVer.1時代を振り返ると、その激痛の記憶切っても切れない関係にあります。つらし!w

Ver.1時代は、ベータテスト時代に知り合って、Twitterで交流を続けながら製品版での再会を約束していたフレンドさんたちと、よく遊んでいました。その1人が、Windows版が発売するとほぼ同時に、突如Wiiを3台買い込み、いきなり4垢プレイを始めたのです。ものすごい情熱でしたが、1年も経たないうちに(だったと思います)あっさりと引退していきました。最初から気合いを入れて猛ダッシュした結果、息切れして燃え尽きたんですかね…w

現在、Windows版では、1台のPCで4アカウントまでの同時起動が可能ですが、それに正式対応したのは、2014年2月27日、Ver.2.1前期のアップデート以降です。Ver.1時代に複数アカウントでプレイするためには、複数台のPCまたはWii/Wii Uを用意するか、仮想OSを起動するなどの特殊な方法をとる必要があったのではないかと思われます。

今は比較的レベルを上げる手段も多く、新規で始めたプレイヤーさんも、ストーリーなど先行プレイヤーに追いつきやすくなっていますが、当時はエンゼルスライム帽すらありませんでしたし、メタル迷宮招待券なんてものもありません。毎日必死でレベルを上げて、金策して…という情熱的なプレイヤーなら、わりと早く追いついたのかもしれませんが、今も昔もわたしたち一家はのんびり勢ですし、ストーリー以外にもやることは山のようにありましたから、つき兄が冥王を倒したのも11月25日の夜(エンディングを観たのは日付が変わって26日)でした。12月5日にはVer.2が発売となりますから、なんとかギリギリ間に合わせたという感じですねw

この段階ではまだ取れてないキーエンブレムもありました

この段階ではまだ取れてないキーエンブレムもありました

Ver.1時代の思い出といいますか、印象的なのは月が赤かったことですかね。これは「神話篇」に関連するものだったそうで、Ver.1.3の期間限定クエスト「狂える赤き月」で、そのことへの言及があったらしいのですが、Ver.1.5から冒険を始めたプレイヤーがそんな事情を知っているはずもなく、アストルティアの月は赤いものなんだと、ふつうに思い込んでいました。

一時期、アストルティアの月は赤かったのです

一時期、アストルティアの月は赤かったのです

今では季節イベント以外で、特定の期間しかプレイできないクエストというものはありませんが、「神話篇」にはそれがあったんですね。そもそも「神話篇」全体が期間限定として作られたものでした。それが途中で路線変更となったため、今でもガケっぷち村は滅んだままです。

厳密にはそのプレイヤーキャラクターが、落陽の草原に入った瞬間に滅ぼされるのですが、わたしを含めてVer.1.4以降に冒険を始めたプレイヤーは、ちゃんと「ガケっぷち村」が村として存在していた時期を知らないままなのです。「神話篇」の受注前&受注中、クリア後でマップを分ければ、復興できなくもないと思うんですが、今さらやらないでしょうね…w

そして11月29日、3番目のキャラとして、プクリポピリカ兄が誕生しているのですが、なんとキャラメイク当日の写真すら見当たりませんでした。冒険日誌によれば、旅芸人Lv3にした後、翌年6月24日まで完全放置されていたようですw

イイプクの日(11/29)生まれというだけの理由で誕生w

イイプクの日(11/29)生まれというだけの理由で誕生w

わたしたちにとって、Ver.1時代は9月12日~12月4日という、わずか3ヶ月弱しかありませんでした。その3ヶ月弱の期間で、それまで1年以上にわたってアップデートされてきた全てを体験するなど、とても無理な話でした。初代ディレクターの藤澤仁さんにしても、開発初期~退任されるまでに携わられた仕事の全貌を、その3ヶ月弱で把握するなんてできるわけもなく、その偉業をはっきりと認識したのは退任された後だったと思います。返す返すも惜しいことをしたものですw

今でこそドラクエ10のスタッフさんにも多少は詳しくなったわたしですが、それまでドラクエシリーズは好きだったものの、特にゲーム雑誌を読むわけでもない、れっきとした非ゲーマーだったので、ドラクエ9までは、堀井雄二さん鳥山明さんすぎやまこういちさん、というビッグ3を除き、ドラクエシリーズに関わったスタッフさんをそこまできちんと把握していたわけではありません。あとは初期のプログラマーに中村光一さんがいた、というくらいの知識でした。

ドラクエ10の関連書籍におけるインタビューや、DQXTV等を通じて、スタッフさんの人となりや、手掛けてこられた仕事を知っていった、という感じですね。もともと好きなアニメのスタッフさんのことを調べたりするのは好きでしたし、「作り手」への興味を持ちやすい性格なのですが、ゲームにおいては、そこまで関心が大きくはなかったということですね。今では関心ありまくりですけどねw

   
Astoltia Side (DQ10)アストルティア10周年

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