アストルティア10周年 (2) DQ10の魅力&Ver.3~4

このページは約2分で読めます。
記事内容は掲載日時点で判明している情報に基づきます。過去の記事は、最新の内容ではない点にご留意ください。掲載後にゲーム内で仕様変更等が行われることもあります。仮説等は掲載後に異なる事実が判明していることもあります。
このページは 全7ページ中 5ページ目です

最初から

前のページ

次のページ

DQ10アストルティア10周年
この「アストルティア10周年」の記事では、過去バージョンの振り返りを行う過程で、一部ボスキャラクターの写真などを使用します。一部ストーリーの内容、ボスの名称など、Ver.5範囲までのネタバレとなる可能性がありますので、どうぞご注意ください。
スポンサーリンク(広告)

Ver.3期間の思い出 その3

Ver.2~3と、藤澤仁さんの後任としてディレクターを担当されていた齋藤力さん(通称りっきー)は、本当に熱い心をもったディレクターでした。そもそも堀井雄二さんと初対面の際にドラクエ3の素晴らしさを熱弁したという伝説が残るほど、ドラクエ愛の強い人です。Wikipediaによれば1974年生まれとのことなので、まさに小学生の頃から(※)ドラクエシリーズをファミコンでがっつり遊ばれた世代ではないでしょうか。

(※) 1974年の早生まれらしいので、1973年度生まれ=1986年のドラクエ1発売時には中学生でしたねw

DQXTVで姿を毎月見ていても、りっきーの熱さがとても伝わってきました。そして、見るたびに痩せていき、肌は白くなっていき……

ついにはスクエニHDの株主総会で、りっきーの健康問題が質問されたことすらありましたw

ディレクターに就任する前の写真を見ると、どちらかというとふっくらしたお顔なので、身体を鍛えて痩せたという理由もあるそうですが、ある程度は健康状態に影響を与えるほどのストレスやプレッシャーを抱えていた面も、おそらくあったのだろうと、わたしは思っています。身を粉にしても良い作品を作ることに情熱を傾けた、そんなディレクターでした。

りっきーの後任が、現在もディレクターを務める安西崇さんですが、彼は就任に際して、はっきりこう言いました。

私に(りっきーと)同じことはできない

そう、とても真似できないほどの情熱の注ぎ方だったのです。それはDQXTV等を通じて姿を見ていたわたしたちにも、しっかりと伝わってくるほどでした。りっきーのやつれ具合が「プーポッパン王」とまで形容されたこともありましたが、それほどまでに全身全霊をこめて打ち込み、築き上げてくれたのがVer.2~3でした。Ver.6期間である現在から見れば、Ver.1~3はまさにドラクエ10の土台ともいえる部分で、ここがしっかり作られているからこそ、まだまだドラクエ10の物語は続いていく、続けていけるのだと思っています。

りっきー、本当にありがとう!
そろそろリリースとされる新作もがんばってください!

さて、Ver.3のラスボスを倒したのは、つき兄が2017年7月20日、アップデート15日後でした。あかり姉は同年9月11日、わたし・ルナクルは翌年5月26日。次第にこの3人のクリア間隔が近づいてきましたねw

     
DQ10アストルティア10周年

この記事へのコメント

コメント

タイトルとURLをコピーしました