Ver.6「失敗」の原因を探る

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Astoltia Side (DQ10)アストルティア雑記
 
この記事は、Ver.6完結までのメインストーリー、サブクエストなどのネタバレを多く含みます。クリアされていない方はご注意ください。
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Ver.6ストーリーの構造的欠陥

まず、Ver.6ストーリーの何が悪かったかを見ていく前に書いておきますが、わたしはVer.6期間に描かれたストーリー内容の「全てが悪かった」とは考えていません

Ver.6.1から続く各英雄のエピソードは、それぞれ楽しむことができましたし、大きな感動を覚えたものもありました。リナーシェさんのエピソードなどは「ねじれたる愛の物語」という記事にもしました。後味の悪いお話もありましたが、ドラクエは昔から決して明るく健康的なお話ばかりではありません闇深い話だってありますし、それはそれで考えさせられるものでした。

それぞれの内容を綿密に書いていくと、2万字でも3万字でも行ってしまいそうなので、ここでは内容は最小限として、少しずつ振り返っていきます。

導入部分(Ver.6.0)

Ver.6.0の導入部分、特に天使の描写については、最悪の印象でした。いわゆる「つかみはOK」という考え方がありますが、Ver.6に関しては、OKどころかダメダメだったと思っています。

そもそも、主人公が天星郷へ行くことになった理由は、空中に浮かぶ謎の都市を見に行こうとして撃墜され、落ちたところで出会ったユーライザさんに、来てほしいと言われたからです。天使が来いと言っているから行っただけのに、なぜか再び襲撃され、ようやく着いたと思ったら、招かれざる客のような扱いを受け、上から目線の天使たち訳の分からない試練を受けに行かされる、そんなスタートでした。

最初の撃墜は、その時点で「魂の燭台」を持っていたわけではないから「」と認識されただけのことですし、再襲撃も、意識を操られていた天使によるものですから、仕方がないことでしょう。

問題なのは、神都フォーリオンにおける天使たちの主人公に対する態度です。ルティアナ様が消滅した経緯を全く知らない、一般人のそれであればまだ理解はできますが、彼らは紛れもなく天使であり、ルティアナ様に仕えている立場です。それなのに経緯を全く知らないこと自体、不自然極まりないことです。

後から(意識を操られていた)ヘルヴェルさんが「悪い噂」を流したためだと判明しますが、たとえるなら、SNSの情報を鵜呑みにして主人公に一方的なヘイトを向ける天使なんて、好きになれるはずがありませんw

つまり、彼ら天使が、その盟主であるルティアナ様と世界を救うため行動をともにして、しかも最期を看取った存在ともいえる主人公を、必要以上に嫌う、あるいは小馬鹿にすることに説得力がないのです。

この導入部分のおかげで、天星郷や天使を救いたいという気持ちが全く起きないまま、結局「アストルティアを救うために仕方なく天使の言うことを聞いている」というような構図になってしまいました。

シナリオの意図としては、ジャゴヌバを倒した「世界の救世主である主人公」として接してきたのでは面白くないので、あえて敵意むき出しにする天使というのはどうだろう、という思惑だったのでしょうが、そういう考えが空回りしたといいますか。

結果的にプレイヤーに与えたのは「意外性」ではなく、極度の「不快感」だった点は、これからのシナリオ制作の上で反省して頂きたい部分だと、わたしは思っています。エッラソーに!w

英雄たちの物語(Ver.6.1~6.3)

Ver.6.0終盤で、英雄たちが天星郷に招かれた目的でもある「神化の儀」に失敗し、主人公とフォステイルさんを除く英雄たちは悪神化してしまいます。それぞれの英雄に、悪神化を促してしまった要因があり、彼らの「心域」を順番に訪れて、悪神化するに至った心理的要因を取り除き、その呪炎を断ち切る、という展開が続きます。

Ver.6.1では、大地の三闘士のカブさん、ナンナさん、ドルタムさん歌姫リナーシェさん時の王者ハクオウさんの5人が生み出した3つの心域へ行き、Ver.6.2では勇者アシュレイさんと、この合計6人の英雄たちの呪炎を断ち切っていくことになるのですが、最終的にレオーネさんだけはジア・クト側についてしまうという最悪の展開となり、Ver.6.3では彼と戦うことになってしまいます。

もう少し詳しく書くと、レオーネさんは導きの天使と出会った段階で、すでに人類に絶望していましたから、彼にとっては予定通りの行動ではあったのですが…

ストーリー内容の詳細までは書きませんが、このあたりの物語では、最終的にはそれぞれ呪炎を断つ(悪神化を解除する)という目的があるものの、英雄として呼ばれた彼らの人生を辿たどっていくことになります。個人的には、Ver.6のストーリーを最も楽しめていた時期でもありました。

レクタリスさん(Ver.6.4)

そして、Ver.6.4で描かれたレクタリスさんのエピソードで、Ver.6期間のストーリーに対するわたしの気持ちは最高潮に達しました。彼女は自らの生命を犠牲にするしかなかったのか。アストルティアをまもるために、そこまでしなければならなかったのか。主人公には、どうにかして救う手立てはなかったのか……

なんともやるせない想いになりましたが、エルドナ神のはからいで、ユーライザさんに転生したことを思わせるラストがあったからこそ、まだ僅かながら救いを見ることができました。

もしここで、つまりVer.6.4でストーリーが終わっていれば、あるいはVer.6も「名作」と呼ばれていた可能性も残されたかもしれません。だけど、ここで終われるはずもありません。だってアストルティアにジア・クトが迫ってきているという、Ver.6の根幹をなす大問題は全く解決していないのですから。

風呂敷を畳むことに大失敗(Ver.6.5)

ここから、物語の盛り上がりが急激に失速したVer.6.5前期~後期について書いていきます。

ユーライザさんの一時離脱と復帰

どう物語を完結させるのか、つまりどのように広げた風呂敷を畳むのか不安と期待が入り混じる中、Ver.6.5前期がリリースされたのですが、そこで取られた「ジア・クトへの対抗手段」は、英雄の命脈を原動力として成り立つ、まさかの「巨大化」(創生巨神化)でした。ウルト●マンなの?

(悪い意味で)想像もしなかった展開にw

(悪い意味で)想像もしなかった展開にw

この大事な局面で、なぜギャグのようなことを?という疑問はありました。そりゃまあ、ジャゴヌバと戦う女神ルティアナ様もデカかったですけど…w

英雄の命脈を…という点も、不安しかありません。そして案の定、英雄のひとりであるアシュレイさんの命脈が尽きてしまうという、後期で待ち受ける「英雄消滅ドミノ」の予兆ともいえるような展開に……

そうした中、突然ユーライザさんが神化の光炉に飛び込むという、文字通り突拍子もない行動に出て、面会謝絶状態に陥ってしまいます。これがVer.6.5前期クライマックスの展開なのですが、これが最初から想定されていた内容なのか、わたしには疑問に思えてならないのです。

なぜなら「ユーライザの思い出」という、彼女と各地へ写真を撮りに行くコンテンツで、Ver.6.5前期で追加された撮影ポイントまでをコンプリートすると写真フレームをもらえるという報酬まで用意しておきながら、プレイできなくなると知らず、先にメインストーリーを進めてしまったプレイヤーに限って、突然クリア不可になってしまったのですから。

当たり前ですが、これに対する不満の声が上がり、アップデートから約1か月後に、霊体のようなユーライザさんと写真を撮りに行けるようになるという、ストーリーぶち壊しの謎対応が行われました。

Ver.6.5前期のストーリーをクリアすると、後期までの数ヶ月間ユーライザの思い出」が進行できなくなるという状況を事前に想定して作っていたなら、そのVer.6.5前期で撮影ポイントを追加することも、ましてその段階でコンプリート報酬を用意することも、常識的に考えればあり得ない判断だったはずです。

ちょっと思い出してほしいのですが、Ver.5の「イルーシャのスケッチブック」もストーリーの進行により、同様に「一時的にプレイできなくなる」状況にはなりました。ただし、この段階では、まだコンプリート報酬は用意されておらず、ストーリーを進めて再度プレイできるようになってから、新たな行き先とコンプリート報酬が追加されたので、それほど問題にはならなかったのです。

想像ですが、Ver.6.5前期で当初想定されていたラストでは、どうも次への「引き」となるような盛り上がりに欠けると判断され、ユーライザさんが光炉に飛び込むシーンを後から追加したのではないかと勘繰ってしまいます。そう考える根拠は、Ver.6.5後期でユーライザさんが戻ってくるときの、あまりにも軽い描写です。少なくとも、ちょっと前まで面会謝絶状態だった人の復帰シーンとは思えません

後のクエストにおける、レクタリスさんの「再登場」のためには、ユーライザさんを神化させる必要はあったはずですが、これほど強引な方法をとる必要はありませんでしたし、そこへ向かうユーライザさんの心境も、ちょっと理解しがたいというか、こんなキャラだっけ?と……

これも推測なのですが、当初の予定では、Ver.6.5は前・後期ではなかったのかもしれません。Ver.4、Ver.5と、約2年で完結して次のバージョンが発売されていたのに、Ver.6は2年4ヶ月と、期間も長くなっています。

ストーリーの中盤でユーライザさんが神化を決意して、何らかのアクシデント(いきなり光炉に飛び込むようなことではなくても)で途中離脱を余儀なくされ、一時的に「ユーライザの思い出」を遊べなくなるものの、ストーリーをクリアすれば元通り遊べるようになるということなら、まだ自然です。コンプリート報酬を用意しながら、後期まで数ヶ月、何の予告もなく遊べなくするというのは、どう考えても不自然に思えます。

あまりにも弱いジア・クト

ドラクエは伝統的にラスボスが一番強いものです。ストーリー本編とは別に、隠しボスやエンドコンテンツもありますが、それまでのストーリーで戦ってきた敵よりも、ラスボスが強いというのは、倒したときの達成感を得るためにも、重要な要素だったはずです。

それなのに、史上最悪の敵であるかのように、2年以上にわたって語られてきたジア・クトの親玉が……

戦ってみたら激弱だった!

という、笑えない笑い話みたいなオチがついて、Ver.6は完結するのでした……

いにしえの廃棄物以下とさえ言われていますね…w
BGMは名曲「おおぞらに戦う」なのに、もったいない……

これについては、ストーリーというよりゲーム性の問題でもあるので、後ほど改めて書きます。

英雄たちの消滅

Ver.6のストーリーを開始した時点で、このバージョンに登場する英雄たちは、主人公を除き全員故人でした。

ラダ・ガートさんフォステイルさん約500年前リナーシェさん約600年前アシュレイさんレオーネさん3500年以上前(※)、大地の三闘士約4000年前ハクオウさんに至っては約6000年も昔の人物です。

(※) 勇者アジールさんの従弟「グランゼドーラ建国王」メルザインさん(つまりアジールさんと同年代)が、グランゼドーラ王国を建国したのが「約3500年前」だと判明していますが、彼らの祖先にあたるアシュレイさんが、神聖ゼドラ王国を建国した正確な年代は不明です(2023年11月現在)。

現代のアストルティアは深刻な神不足ということで、英雄たちの魂を神都フォーリオンに呼び寄せて、新たな神になってもらおうというのが、Ver.6の物語の発端です。要は人手不足なので死者をも利用しようと←

つまり、本来的に彼ら英雄は「生きていてはおかしい」存在ではあります。残るのであれば、人々との接触を避け、「」という別格の存在でなければならないでしょうが、彼らはあまりにも人間味あふれる存在です。ハクオウさんは草餅に舌鼓をうち、リナーシェさんは子孫の歓待まで受けています。

そのまま、Ver.7以降も「いつでも会えるアイドル英雄」というA●Bみたいな存在になってしまうと、ストーリーの上で何かと支障がありそうです。だから、Ver.6の完結と同時に消滅するというラストは、ある程度は予想されたものではありました。

ただですね……消滅させ方がザツすぎるのです。

消滅した順に、どういう最期だったかを書いていきましょう。

レオーネさん

Ver.6.3
人類に絶望してジア・クト側につくも、ジア・クトですら完全ではないことに失望。ジア・ルミナにとどめをさし、彼女のチカラを取り込み「ジア・レオーネ」と化す。最終的に人類を護ることを決意したアシュレイさんに、とどめをさされることで消滅。

アシュレイさん

Ver.6.5前期
主人公の創生巨神化の後、「巨人コアを守るジア・クトたち」との戦闘、アンルシアさんを守るために勇者の盾を使用するなどにより命脈を使い果たしてしまい、チカラ尽きる。

カブさん(三闘士)

Ver.6.5後期
魔眼の月に到達後、ジア・ネブラの罠にかかってチカラ尽きる。

ナンナさん(三闘士)

Ver.6.5後期
ジア・ネブラの罠によるブロックをすべて破壊してチカラ尽きる。

ハクオウさん

Ver.6.5後期
ジア・クトの追っ手を引き受け、主人公をジア・レド・ゲノスの元へ行かせた後、かろうじて合流するも、そこでチカラ尽きる。

ドルタムさん(三闘士)

Ver.6.5後期
魔眼の月の残骸を海に落としてチカラ尽きる。

リナーシェさん

Ver.6.5後期
歌い終わってチカラ尽きる。

ラダ・ガートさん

Ver.6.5後期
最後まで生き延びるも「ジア・ルーベ・ゲノス」との戦いの後、チカラ尽きる。

こうやって振り返ると、レオーネさんの消滅までは、ストーリー上の必然として理解できます。レオーネさんは死力を尽くして戦って、その結果として消滅しているのですから。

ところが、アシュレイさんの消滅から、どこかおかしいのです。もちろん主人公を創生巨神化させるために命脈を消費した後だからという理由はありますが、それを踏まえても、その程度のことで消滅する?と言いたくなるような、取ってつけたような消え方をしています。しかも後に進むにつれ、消滅させ方もどんどんザツになっていき、リナーシェさんに至っては、歌い終わった途端にチカラ尽きるという意味不明っぷりです。

まるで、消さなきゃいけないから消した、と言わんばかりなのです。

そのような状況の中、なぜかフォステイルさんのみ消滅していません。フォステイルさんは、最初の段階で(失敗した方の)神化の儀を受けておらず、悪神化していませんから、それも関係しているのかもしれませんが、命脈を使ったのは彼も同じです。どうしても英雄を消す必要があるならフォステイルさんも消すべきでしょう。

フォステイルさんは予知能力のようなチカラを持っているので、危険を察知して回避します。だから悪神化も免れたのでしょうが、彼が考案したメギストリス王家に伝わる儀式の話など、悪神化してもおかしくない要素はいっぱいあるのです。そのあたりの話をまだ描き切れていないので、消すに消せなかったのか、単純に人気があるキャラだから消さなかっただけの話なのか……

フォステイルさんは、実際に生きていて、主人公も容易に行くことのできる500年前に存在するのはもちろん、不思議な能力で過去と現在を行き来さえしています。おまけに現代を流浪までしています。神化したフォステイルさんが消滅したとしても、これまでと同様、難なく再登場させられたはずです。

これが後に「消滅しなくてよかった」と思える展開に生きてくるのか、現時点では全くわかりませんが、Ver.6のシナリオを見る限りでは、個人的には不安しかないのですが……

結論:物語の「核」が弱すぎた

英雄たちの個々のエピソードや、レクタリスさんのエピソードなど、心に残るお話も多かったVer.6ですが、ストーリーのど真ん中にあるべき部分、つまり「」が、あまりにも弱いのです。

ジア・クトが攻めてくる→いまだかつてない強敵→女神はいない→どう立ち向かうのか、という流れを、シナリオの上でうまく消化しきれていない印象です。

Ver.5までの物語は、ど真ん中に「大いなる闇の根源」という存在が貫かれていました。それがジャゴヌバなのですが、彼を倒すに至るまでの物語が、サブクエストに至るまで綿密に組み込まれていました。

ジア・クトは、Ver.6の途中でその存在が明かされます。ジャゴヌバは、Ver.5の段階で「異界滅神の一族」であること、一族というからには、ジャゴヌバと同等の存在が他にもいることは明かされていましたが、その「一族」こそがジア・クトであり、これまでプレイヤーが10年近くにわたって追い続けてきたジャゴヌバは、そのひとりに過ぎないという、絶望しかない展開が待ち受けている……ように思えました。

ところがフタを開けてみれば、ジャゴヌバの方がよっぽど存在感が大きかったのです。ジア・レド・ゲノスなんて、それが変身してジア・メルド・ゲノスになろうとも、時間が経ったらVer.6のラスボスが何だったのか忘れてしまいそうなほど、存在感の希薄な敵でしたw

どうも小者感というか、イタさが目立つラスボスw

どうも小者感というか、イタさが目立つラスボスw

結局、彼らの放つ光線によって結晶化されてしまうことが脅威なのであり、それへの対抗手段さえ整えば、ジア・クト本体は全くたいしたことのない存在だったとも言えそうです。

ここからは推測ですが、Ver.6では、それまでと比べて奇をてらった手法を持ち込もうとした結果、その試みが盛大に失敗したのではないでしょうか。

Ver.6のストーリーは、どこかSF風です。巨大化なども、ウルト●マンだったり、ゴ●ラだったり、ロボットアニメだったり、何かそういう雰囲気を感じさせます。もちろん、ドラクエ10にもSF的描写はありました。時渡りはタイムスリップそのものですし、アルウェーンのお話も近未来SFです。だけど、ドラクエ10の世界観として違和感のない程度のSFでした。Ver.6だけは、そういう意味でどこか異質です。

SFってとにかく壮大なんですよ。なんでもできます。宇宙の果てにも行ってしまうし、何億年も時間が経過した世界とか、平気で飛び出してきます。5000年の旅路どころでは済みません。SFの手法でドラクエ10のストーリーを作ろうとすると、際限がなくなって収拾がつかなくなりそうです。

ジャゴヌバさえ「一族のひとりにすぎない」というジア・クトの物語を展開するなら、必然的に敵は「ジャゴヌバより強い存在が大量にいる」ことになるはずです。もしかするとVer.6の構想段階では、実際にリリースされたゲームよりも、遥かに壮大な物語だったのかもしれません。

天星郷上空にこれ見よがしに「魔眼の月」が現れて、わたしは当初これを宇宙船か何か(ジア・クトの本拠地となる惑星が別にあり、最終的にはそこへ向かうことになる)と思っていたのですが、これ自体が本拠地だったということで、いきなりスケールが小さくなったように感じたものです。

Ver.6の物語は2年程度で終わらせなければなりません。当初の構想通りに進めていくと、とても風呂敷を畳めなくなってしまうということで、ジア・クトのスケールが小さくなったと。そういうメタ的な事情もあって、なんだかお話が尻すぼみしてしまったのでしょうか。

Ver.6への批判として、よく目にするワードに「剣と魔法の世界」というのがあります。ドラクエはファンタジーの世界で、剣と魔法を使って戦うゲームであって、プレイヤーはそれを求めているのに、Ver.6の世界観はそうではなかったのが残念、という論調です。

先日の超DQXTVで、安西さんはVer.7を「正統派なファンタジー世界」と表現されていました。これは「Ver.6はそうではなかった」という意味を内包しているようにも感じ取れますので、ドラクエ10に求められる世界観を逸脱してしまっていたことは、すでに運営側も認識されているのかもしれません。

もっとも、何もかも「ドラクエらしさ」という言葉で縛ってしまうのも良くないとは思っています。これまでのドラクエにはなかったからといって、必要以上に描く世界を狭める必要はありません。ただし、ドラクエ10としてゲームをプレイしたときに「面白ければ」という前提ですけどね。

   
Astoltia Side (DQ10)アストルティア雑記

この記事へのコメント

コメント

  1. アバター画像 匿名 より:

    バージョン5で追加されたコンテンツも少ないだろw

  2. アバター画像 匿名 より:

    運営に一字一句読んでもらいたいですね。。
    まずはver7はver6のようにはならないと安心させる放送をして欲しかったです。。ver6.4メインストだけはやって良かったと評価してますが。

    加えてコンテンツの少なさもver6の問題ですね。
    追加されたコンテンツは以下くらいでしょうか。
    ・パニガルム
    ・咎人
    ・ブートキャンプ
    ・天使のフィットネス
    (天使のフィットネスとかホント何これって感じです)。

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