Ver.4期間の思い出(後編)その2
歴史というのは、教科書で読んでいるだけでは史実と考えられていることを記した文章にすぎません。それが具体的なイメージを伴う小説、映画、ドラマ、漫画、アニメなどになると、作品そのものは作者の解釈や創作が含まれるフィクションではあるものの、その場面をストーリーとして、あるいはビジュアルとして見ることで、フィクションなりのリアリティが生まれるわけです。
ドラクエ10は、その物語自体はフィクションではあるものの、アストルティアという世界の歴史設定が随所に散りばめられています。それは本棚にある書物の記述や各種クエストで語られていたりもします。けれども、それらは歴史として現代に伝えられている内容であり、中には誤って伝えられているものもあります。主人公はVer.1のストーリーで500年前には行くことになりますが、その時代を除けば、Ver.3までに語られる歴史というのは、あるいは伝聞であったり、あるいは亡霊の証言であったりで、少なくとも主人公がその時代で実際に見たものではありません。
ところがVer.4の物語では、実際にその時代へ行き、その時代の人々と話すのです。まさに「T・Pぼん」で描かれているような時間旅行を、アストルティアの中で行うことができるわけです。
時間旅行を扱う作品というのは、その描き方によってはどうとでもできてしまう危険もはらんでいて、何かしらの制約がかけられるものです。
前述の「T・Pぼん」では、たとえば対象人物の救出に失敗した場合、その少し前に戻って再度救出を試みればいいのではないか、という主人公の問いに、時空間はデリケートなので、「消しゴムで同じ場所を何度もこすると紙が破れてしまう」という比喩によって、同じ時間を何度もなぞるとそれ以降の歴史が崩壊し「なかったことになってしまう」という説明がなされます。
ドラクエ10でも、たとえばジャ・クバ(ウルタ皇女の父王)が殺される前に行って、グルヤンラシュを止めれば解決するのでは、と主人公が考えたとしても、その時代へ自由に行くことはできません。主人公の持つエテーネルキューブに行き先を設定することは、キュルルにしかできないからです。そして、そのキュルルはVer.4のラストで消滅してしまったので、主人公はキュルルが設定した時代以外には行くことはできません。
そうした制約があるとはいえ、時渡りの術を使うことにより、それまで断片的に登場していた過去の歴史についての伏線を回収したり、大きな謎が解けたり、Ver.4は全体として興味深く面白いストーリー展開でした。
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